天の縄未来研究所の組織
先人の偉業に感じ
父母を敬愛し家族を大事に
また人と和合し
日本の文化・伝統を学び
歴史を正しく捉え
大いなる生命の営みのひとつとして
心を鍛え、己の魂の使命を達成すべく
他のために尽くす
各界のメンバーが参集し
天の縄活動を行います
天の縄の精神
「和を貴ぶ」
日本の伝統精神は、いずれも皇室、とりわけ聖徳太子と深く関わりながら、日本人に浸透している精神です。「和を貴ぶ」とは、平和を愛好し調和を大切にする精神。「和を以て貴しと為す」という言葉に象徴されます。日本人の精神を表すもので、これほど有名な条文はないでしょう。日本の伝統精神は、いずれも皇室、とりわけ聖徳太子と深く関わりながら、日本人に浸透している精神です。「主座を保つ」というのは、自主性や主体性をもつことを意味します。日本は外国からいろいろな思想や文化を受け入れるに際しても、それらをたんに鵜呑みにするのではなく、日本人としての立場を失わずに、日本の伝統に即し、開花させてきました。天の縄では日本の歴史や伝統に誇りをもち、この国日本に対して深い愛情を抱いて初めて、他国の歴史や伝統を理解・尊重できるようになり、そこから真の国際親善や世界平和が生まれてくると考えます。
「衆知を集める」
「主座を保つ」
たとえば604(推古12)年に聖徳太子が定めた十七条憲法には、「物事は独断で行わず、必ず皆で論じ合い検討せよ」という意味のことが書かれています。織田信長など、名将といわれる戦国武将たちも、軍議や評定を開いて家臣の意見を聞いていました。このように「衆知を集める」というのは日本の伝統精神に深く根づいたことであると、私たちは考えます。「衆知を集める」は、日本が長年にわたって外国のよいもの、すぐれたものを進んで受け入れ、それらを活かすことによって国を発展させ、日本文化をつくりあげてきていることを指しています。それは、仏教やキリスト教のような宗教・思想から、漢字のような文字、さらには科学技術や社会制度まで多岐にわたります。「主座を保つ」というのは、自主性や主体性をもつことを意味します。日本は外国からいろいろな思想や文化を受け入れるに際しても、それらをたんに鵜呑みにするのではなく、日本人としての立場を失わずに、日本の伝統に即し、開花させてきました。もちろん、このように世界の衆知を集める前に、天の縄では「主座を保つ」をモットーに日本人同士で物を考え、事を行なう場合にも、つねに衆知を集めつつ行なうことが大切であると考えています。
おもてなし 日本の伝統精神
おもてなしの語源は「表なし」という1つの意味がある。つまり、裏表がないということとされます。
その根底に流れているものは古くから存在する、神様への「おもてなし」が儀式として日本の中で続けられてきたことと深い関係があります。
目に見えないものに対しても敬意を払い、感謝をする。それは日本人が昔から続けてきた「裏表なく、見えないところでもきちんとする」ということであります。
今でも続いているものの一例としてお盆がそれにあたる。目に見えない先祖をお迎えするためにきゅうりの馬とナスの牛を作ります。
その意味も「帰ってこられる時は馬で早く、帰りは牛に乗ってゆっくり帰っていただく」という目に見えないものに対する思いやりが込められているのです。
相手のことを考え、人に気づかれなくても目に見えないところにまで気を使う、できることを精一杯するというのが「おもてなし」なのです。
では、これは相手のことだけを考えて行われているものなのでしょうか。
お盆の行事には仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、先祖は苦しみから逃れられ、生きている自分達も幸せになれるという意味があるります。
つまり、相手に精一杯のおもてなしをすることで自分達も幸せになれると信じて行ってきたのである。
天の縄ではこの考え方をベースに「おもてなし」の精神を全ての活動の原点としています。
茶道においては、お客様を迎える際、道具を選び、掛け軸を選び、お茶室や庭の掃除をする。季節に合わせてお菓子や器の色も選び、お茶を飲んで頂く一瞬の時間のために何日もかけて用意をします。そして当日の気温や気候によって湯の温度の加減を見てお茶を入れる。これにはてんの縄が尊重する「一期一会」という考え方がベースにあり、客もまた、招かれたことに感謝し、お茶会を盛り上げるように努力します。
「茶の湯とは時間の経過」である。一瞬で消えていくものであり、残されるのはよい時間をともに過ごしたという記憶なのです。
その一瞬の時間を作るために主人は何日も前から準備をし、客人はその意を汲みとることによって茶事を盛り上げ、感謝を表すのである。「一座建立」という言葉があるが、もてなす側ももてなされる側も一緒に主客一体の座を作るのである。
お茶の世界での「おもてなし」で大切にされていることは、その一瞬の時間が「とてもよい時間だった」とお互いに思えることなのです。
つまりお互いにお互いの立場を思いやる気持ちがなければ成り立たないのです。天の縄の活動の精神には、「自分が明日あそこの立場になったら」という、相手と自分を同化させる気持ちがベースがあります。